大学職員は一般学生への情報公開を拒否
昨年六月から突如として姿を現した2B棟のゲートでは、入構者が学生かどうかの確認だけではなく学籍番号を退室時にも読み取ることで、個人の入退室を厳密に記録していたことが本紙の調査により分かった。昨年行われたある学類のクラス連絡会で、支援室の職員が出席している学生にのみ明らかにしていた。なお大学は今年度から2C・D棟にも同様のゲートを設置する方針である。

クラス連絡会では「なぜ入るときだけではなく出るときにも学生証が必要なのか」と学生が質問し、それに対して職員が「学生情報を読み取り入退室を記録しているから」と答えていた。その後学生が「学生に説明して理解を求めても良いか」と聞くと、職員は「それはちょっと…」と付け加えたという。昨年六月一八日の筑波大学新聞によると、加藤光保理事・プロボストは「許可を得ずに学内に入ってくる人物がいるとの報告もあり、学生の安全を最優先に判断した」とゲート導入の理由を語っている。しかし、それなら図書館のように学生かどうかだけを入室時に確認し、退室する際は学生証を確認する必要はないはずだ。このような仕様を加えることは、明らかに統治を行き届かせたいという大学の意志の表れである。私たち学生の見方のような顔をしながらシステムの矛先も他ならない私たちに向けられている。また、 この仕様を加えることでゲート整備に係るコストやランニングコストが大きく上がっていることも想像に難くなく、そのための出費はどのように捻出されているのかも現状定かではない。
この事態は、学問の自由という観点からも避けるべきものだ。入退室が記録される。それはすなわち、いつ、誰が、どこにいたかという情報が権力──もはやそれが信頼にたる相手ではないのは明らかだ──の手にどんどん積み重なる状態である。監視カメラの映像等と付き合わせれば、個人の交友関係や嗜好、思想信条さえプロファイリングされる危険性がある。もちろんそれが予期せぬ形で漏れることもありうる。このような監視下では権力に批判的な言論が生まれにくくなるのは明らかだ。本来大学は開かれた言論の場であり、様々な属性の人々との交流の中で真理を探究し、時には社会を批判的に考え直すことが求められるはずだ。
筑波大はゲートについて調べた学生を弾圧
「FeliCa」技術を利用していることが判明
本紙は、暗号技術に関する研究や事業に従事し、このゲートについて調査を行ったAさんに取材した。Aさんによれば、このゲートによって生じた移動の不自由、またゲートが不審な通信を行い学生を監視しているかもしれないことへの不安からの行動だった。
まずAさんは、市販の測定装置を使用しゲート付近の電波を解析した。その結果、学生証と本ゲートには「FeliCa」技術が利用されていることが判明した。学生証をゲートの読み取り部に近づけると、ゲートと学生証が無線通信を行うものである。
FeliCaの強みは高いセキュリティ機能を備えられることにある。しかしAさんの調査によって、このゲートはそのセキュリティ機能を全く利用しておらず、なりすましへの耐性を備えていないことが明らかになった。実際にAさんは、自身の学籍番号から電波を再現することでゲートを作動させられることを実証した──セキュリティ機能を利用しないことは必ずしも問題ではない。むしろ、通信が暗号化されていないということは、その透明性が高いということでもある。事実として、このゲートは学籍番号以上のデータは収集していなかったこともわかった。それは単に、誰でも学生証のコピーによってゲートを開けられる、という事実に過ぎない。
Aさんを入退室記録と監視カメラから特定
問題はこの後だ。これらの調査行為を行ったAさんは、記録されていた入退室ログと監視カメラの映像から特定され、執拗な電話と面談の末、始末書を提出させられた。Aさんは、調査が正当かつ適法なものであることを説明する意見書を提出したが無視され、ただ叱責を受けるだけだった。また、先述の場面ではAさんの調査を見学していた学生らも監視カメラに映りこんでいたが、職員は映像と学生のTWINS画面をAさんに見せ当人で間違いないかを確認し「答えないのなら「調査」をするぞ」と脅迫した。後日その学生らも学類長に呼び出されたが、学類長の態度も高圧的だったという。
さらにその後、Aさんが調査とは関係なくゲート付近に居たところ、「不審な姿」が監視カメラに映っていたとして再び教員から電話があった。ところがAさんによれば、このときは深夜ではあったが2B棟は施錠されており、ゲートを作動させたわけでもなければ学生証のコピーを作成したわけでもない。にもかかわらず、監視カメラの映像のみから、大学は再度Aさんに始末書の提出を強制した。このときAさんは弁護士への相談を行おうとしたが、教員はそれも認めなかった。最終的に、Aさんは納得できないまま始末書に署名せざるをえなかった。
恣意的に行われる大学による監視、弾圧
一連の事例が示すのは、入退室ログを取得していること(しかし記録するのは学籍番号だけだということ)、夜間でもカメラで監視していること、学生証のコピーを禁じていないのにもかかわらず実際にそれを実行した者に対して不当かつ威圧的な対応を行っていることである──大学の監視・弾圧は明らかに行き過ぎだ。大学が行うべきはAさんの指摘を真摯に受け止め、入退室記録の取得について学生全体に説明し運用方針を明確にすることではないか。セキュリティ上の問題を検討することなく威圧的な対応で発見者の口を塞ぐのは、大学という組織のあり方として不健全だ。本件に限らず、昨年の学園祭における立て看板を持った学生への執拗な追跡や学生間の話し合いへの職員の見回りなど、学生活動に対する不当な介入は枚挙に暇がない。規則や法に基づかない恣意的な対応が常態化すれば、「学問の自由」は形骸化し、大学は閉じ、真理を追求できなくなる。近い未来そうなる前に、一人ひとりの学生が身の回りで起きていることを積極的に問題化し、政治化していくことが必要だろう。(天久保さくら)
(本記事は、2026年4月1日に公開した記事を改めたものです)