渡邊淳也「筑波愛憎」

公開日:2026/6/11

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〈寄稿〉渡邊淳也(言語学者)

 長い時間をすごした街は、いやおうなく人生に結びつく。わたしにとっては、つくばがそのような街だ。学類生、大学院生の積算で10年間つくばに住んだ。そのあとは学振PDを得てフランスで研究し、帰国後は他の大学に就職したが、のちに2006年から2019年までの13年間、筑波大学に教員として勤務した。いまでは、これほど無機質な街でも自分とつながっており、おとずれるたびにここちよく感じる場所になっている。

 しかし、筑波大学に対するわたしの感情ははるかに複雑だ。強い研究志向により、若いころのわたしを言語学の世界にいざなってくれたこと、そして学生のころの友人、教員になってからの同僚や学生にめぐまれたことは、まちがいなくよかった点だ。かつて筑波で教えていた学生の多くといまも交流があり、当時出会った学生がいまでは東大のわたしの研究室で博士論文を書いているという例もある。筑波での元同僚とはいまも共同研究会を運営しており、豊穣な成果を得ている。

 一方で、組織としての筑波大学のありかたには、昔から疑問をいだくことが多かった。古くは当局が学園祭(雙峰祭)を弾圧し、1980年代には二度中止させられた。わたしが勤務していた当時は、たびかさなる組織改編により、現場の教員として疲弊させられた。そして最近は、学長がみずから任期の上限を撤廃してまで地位に執着していること(まるで独裁国家の元首のようだ)や、粗雑な対応で知られる宿舎の寄宿料問題がある。

 かくも批判的なことを公言すると、権力者からは目の敵にされる。それには、文句を言うひとこそ、対象を愛しているという反論を対置したい。ひとは、どうでもよいと思う対象にはなにも言わないのだ。しかも、文句を言いつづけなければ状況はよけいにわるくなるのも経験的事実だ。それゆえ、新生『筑波学生新聞』には期待している。じつはかつて存在した同名の媒体も、「批判精神の堅持」を最大の指針としていた。こころざしの継承に対して、讃嘆と感謝のこころもちでいる。

わたなべ・じゅんや 東京大学大学院総合文化研究科教授。1967年大阪市生まれ。筑波大学人文学類、同大学院文芸言語研究科(当時)出身。博士(言語学)。専門はロマンス諸語を対象とする意味論・語用論。

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